噛まなくなった、その後の話
4歳の頃にいちばん困っていた「噛みつき」はなくなりました。
面談の頻度も減り、半年〜1年に一度、
私が限界になったときに電話で相談する、という形に変わっていきました。
次に発達障害者支援センターへ行ったのは、
小学校2年生の終わり頃でした。
育てにくさは健在|思い出のバナナミルク事件
噛まなくなったとはいえ、
育てやすくなったかというと、まったくそんなことはありませんでした。
いまでも強烈に覚えている、しんどいバナナミルクの思い出があります。
ある日、カフェに入り、
私はコーヒー、娘はバナナミルクを注文しました。
コーヒーが来る前に、娘のバナナミルクを一口もらった瞬間、
そこから怒りが爆発しました。
たぶん「最初の一口」だったから。
理由はそれくらいしか思い当たりません。
どんなになだめても、怒りはおさまるどころか加速。
泣き叫び、発狂状態。
結局コーヒーは断り、会計だけ済ませて、
ほぼ逃げるように店を出ました。
無理やり娘を自転車に乗せて走り出しても、
怒りは収まりません。
自転車をこいでいる私の服を、後ろの席から引っ張り続けます。
それが、20分。
自分の言ったことを私が理解しないと、
娘はよく激しくキレました。
自転車の後ろから服を引っ張られるのは日常茶飯事で、
ダウンジャケットが破れて、中のファーが宙に舞ったこともあります。
今思い出しても、
ただただ過酷で、辛すぎる子育ての記憶です。
当時感じていた娘の特性
- 私から極端に離れられない
- じっとしていられない(特に食事中は歩き回る)
- 一人行動が苦手、必ず友達といる
- 過集中があり、切り替えができない
- 突発的な行動が多い
- 気持ちのコントロールが苦手
- 友達とのトラブル多々(おもちゃの取り合い)
今なら「特性だった」とわかることも、
当時は「ただ育てにくい子」という診断だったので。
私は「わがままな子なんだ」と思い込み、
ただ怒ってばかりの親になっていました。
私が徹底していたこと
特性とは関係ないですが、ちょっと特殊な子育てもしていました。
- 授乳は5歳まで
- 砂糖は極力とらせない食生活
- 夜型で寝つきにくい子だったが、9時までには布団へ
- 歯磨きは絶対(嫌がっても羽交い締めで磨く)
今振り返ると、
やりすぎでした。もっと適当でよいと思います。
幼稚園〜小学校入学までの環境の変化
この頃の大きな出来ことは震災と合計3回の引越しです。
幼稚園年長までは、
祖父母+私+娘の4人暮らし。
その後、娘と私の二人暮らしになりました。
別居の一番の理由は、
祖父が娘に対してイライラする様子を見るのが嫌だったからです。
ただ、両親との関係を壊したわけではなく、
関係を修復してからの別居だったので、大きな争いはありませんでした。
生活環境の変化という負荷
そして、小学校入学後すぐに地震があり、休校。
その後、避難生活となり、隣の県で小学校1年生の1学期を過ごしました。
小学校1年の2学期から元の小学校へ戻ることになります。
隣の県の小学校で過ごした約4か月は、
新しい環境に戸惑いながらも、意外と楽しそうに通っていました。
ただ行動はかなり不可解で、
- 9時すぎに登校した翌日
- なぜか朝7時(先生より早い)に登校
というようなこともあり、
担任の先生が超絶に驚いていて電話をもらったのを覚えています。
成績はやや優秀、友達もすぐできる。
環境の変化が苦手な娘にとっては、
かなり過酷な経験だったと思いますが問題なく過ごしていました。
幼稚園で起きた、意味不明な出来事
今でも理由がよく分からない出来事があります。
娘が一番仲のいい子の洋服の裾を、
ハサミでTシャツの裾を切ってしまったのです。
その日は工作をしていて、その延長で切ったようです。
喧嘩ではありませんでした。
理由を聞いても、娘は答えられません。
勝手な推測ですが、
ハロウィンで裾を切ったDIYの衣装をみたので、
真似したのかと思いました。
とにかく、私は青ざめて、
相手のお母さんに謝罪の電話をし、
後日、似た洋服と菓子折りをお渡ししました。
心臓がギュッとなる出来事でした。
小学校1年生(2学期〜)
最初は教室に入るのを怖がり、
柱につかまる娘を、担任の先生が引っ張って連れていく──
まるでギャグ漫画のような光景でした。
その後は楽しく通う日も増えましたが、
「学校に行きたくない日」と訴える日もありましたが、
まだ学校のことがわからない感じで、ごまかしごまかしで登校させていました。
大きなトラブルは記憶に残っていません。
行き渋ることはほとんどなく
娘の人生の中で
いちばん遅刻が少なく、出席日数が多かったのがこの頃でした。
次の記事では、
小学校2年生でチック症が出た話を書きます。

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