娘が3歳のとき、姉家族が住んでいるフィリピンで、現地の幼稚園に3か月だけ通わせたことがあります。
娘は黒人と日本人のいわゆるハーフで、将来は英語が話せるのが前提になっていくことに不安を感じ、少しでも英語に触れさせたいと思ったのがきっかけです。
が。
結果から言うと、
想像以上にしんどく、普通に失敗でした。
新しい環境、娘は完全フリーズ
娘はもともと新しい環境が大の苦手。幼稚園に連れて行っても、私から一切離れない。私の姿が見えなくなった瞬間から、泣く。泣く。ひたすら泣く。しかも諦めが悪い。泣く時間が、めちゃくちゃ長い。たまに私は、少し離れた場所から様子を見ていましたが、いなくなると即・絶叫モード。
ちなみにこの幼稚園には、年上のいとこも通っていました。それでもダメ。
ただ、私がそばにいれば幼稚園は楽しそうにしてました。
慣れない環境で一気に噴き出す問題行動
海外生活と新しい環境のストレスが重なり、娘の行動は一気に荒れました。
たった3か月。
でもそれまでとは別人レベル。
「普通の子」から
「これは大変だぞ…」な子に進化しました。
例1:食事中に醤油まみれ
- 自分で醤油をかけようとして、うまくできずテーブルは醤油まみれ
- 「やめて」と促すと絶対にやめない
- 醤油瓶の取り合いで大暴れ、大泣き、発狂
異国の地で、醤油まみれの戦場が完成しました。
例2:思い通りにいかないときの攻撃
興奮すると、私の太ももを噛むようになりました。しかも全力。あまりの痛さに、反射的に引っ叩いて突き飛ばしてしまったこともあります。結果、太ももには歯型のアザ。
この出来事は、私にとってかなりショックでした。
「これは…想像以上に大変な子かもしれない。」初めて、はっきりそう思いました。
例3:おもちゃのトラブルで噛み付く
おもちゃの取り合いで怒り、いとこの腕を噛む。しかも怪我が残るレベル。
「私だけじゃなく、他の子も噛む」
この時、血の気が引きました。
姉からの重い苦言
あまりにも指示が通らない娘を見て、姉から「これ、発達障害の疑いあるんじゃない?」と言われました。そして私は、かなり詰められました。娘にも淡々と、でもしっかり説教。
その後は、さらに追い打ち。
- 「ちゃん付けで呼ぶのが悪い」
- 「その言い方は舐められる」
居候の身としては、ただただ時間が過ぎるのを待つのみ。
今思い出しても、地味に怖い日々でした。
日本に戻り、当時の私の気持ち
日本に戻ってから、私はずっと考えていました。
「発達障害? そうかもしれない…でも、この生活がストレスなだけかも…」
「対照的に指示がすぐ通るいとこと比較しているだけだ…」
半信半疑のまま、日本に戻ったあとも様子を見守りました。もし変わらなければ、専門機関に相談しようと心に決めて。
娘が幼稚園に入る4歳頃までの期間、恐ろしかった噛みつき行動もおさまり、決して育てやすいわけではないけれど、
フィリピンの3か月と比べると、かなりマシ。相談に行くほどではないかな、と足が遠のいてしまいました。
4歳から幼稚園生活スタート
4歳で幼稚園に入園。この頃も「英語に触れさせたい」気持ちが強く、英語保育中心の幼稚園を選びました。
今振り返ると、これは選択ミスだったかもしれません。
英語より、どろんこ遊びや自由な遊び中心の園の方が、娘には合っていた気がします。
※発達障害がわかっていれば、ですが。完全にタラレバ。
遊びと環境へのこだわり
この頃から、泥や砂が足につくのを極端に嫌がるように。汚れている場所はNG。遊びの幅もどんどん狭くなりました。
通園もスムーズとはいかず、行き渋りが続きます。3年間のうち、半分は午前中までの預かり。夕方5時までいるのは、だいたい拒否。
周りからも「困る」と言われるように
少人数制の幼稚園で、方針もよく変わる園でした。急に勉強を取り入れ始めた時期は、特に行き渋りが悪化。大きなトラブルはなかったものの、6歳前ごろ、園長先生から「指示が通らず困っている、心配している」という長文の手紙をもらいました。
この頃から、家での手に負えない行動も増え、「これはもう、発達障害かもしれない」その思いが、私の中で確信に近づいていきました。
幼少期に見られた発達障害を疑う行動の詳細は、また別の記事へ。

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